ひとり雑談

平凡な人間の平凡な日々の記録です。

4年ぶりの話。

4年て。いや、4年て。
ログインできたことがもはや奇跡なんですけど。
あ、お久しぶりです。全世界の何人が読んでるのかもわからないけど。

4年のあいだにいろいろありました。
一人暮らしを始めたり、親友が子どもを授かったり(自分じゃないんかい)、仕事でメンタル崩壊したり、仕事を辞めたり、転職先でもメンタルをやられたり、復活したり…。
気づけば20代も終わりが見えてきています。怖。なにこれ。


振り返ってみると何もないように見える僕の毎日も着々と進んで(≠進歩して)いっているし、物の見え方や考え方も変わっていっているんだと実感します。 
人間の脳細胞がまるっと入れ替わるのには1年くらいかかるらしいけど、4年前の僕と今の僕は同じ人間なのかなぁ。
知らない間に自分がかつての自分でなくなっているなんてのは怖いなぁ。

気怠い毎日の中で、少しずつ変わっていく周りと自分に、僕はどれだけ気づくことができているのでしょうか。
4年ぶりにブログを書いて、そんなことを考えています。
こうやって文字に残すと自分を見つめることにつながるのかな。またちょくちょく書いていきたいな。

4年前の記事とか今読み返すとクソ恥ずかしいポエムにしか見えないけどな!
そんなわけで、久々のひとり雑談でした。次回はいつになることやら。

「何となく好き」の話。

「何となく好き」が、好きだ。
自分の好きなものを、他の人が「何となく好き」と言ってくれることも嬉しい。

他人の「好き」に対して意味や理由を求めることはあまりしたくないと思っている。
もちろん「ここがこうなっていてこうだから好き!」といったように、好きの理由が明確なことは素晴らしい。そこは間違いない。
でも、好きな理由にこだわりすぎる必要もあまりないよなぁというのが僕の考えだ。

「何となく好き。自分でも説明できないけど、なんか好き。」
これはきっとその人の直感…極端な表現かもしれないけれど本能で好きなのだ。だから、それでいい。
そこに知識や経験が加わることで、より深く、より具体的に好きになればもっといい。

反対に、「何となく嫌い」は少しもったいない。
見方を変えたり、より近くで触れてみると好きになれるかもしれない。食わず嫌いは言ってしまえば機会の損失なのではないかとも思う。
僕はついつい人を第一印象で判断したり、物事を噂で聞いただけで評価したりしてしまうきらいがある。
そしてあとになって「もっと早く好きになっておけばよかったかも」と思ったりするのだ。

もちろん、どんなに頑張っても好きになれないものや、苦手なものはたくさんある。この世の全てを好きになることはできない。
けれど、嫌いなものよりも好きなものが多い世界のほうが、きっと楽しいし、生きやすい。
…と、思う。


話は変わるが、先日CDショップでtoconomaの「NEW TOWN」というアルバムを買った。とても良い。何がいいって、カッコいい。

個人的にはorbitという曲が特に好み。ギターのカッティングとシンセの音がいい感じに僕のツボをついてくる。
このキュワッとしたシンセの音が…


…うん、好きという気持ちは「何となく」でいいけれど、相手に説明する時に関しては、ある程度頭の中を整理したほうがいいね。全然伝わらないよね。あと語彙力ね。

タクシーの話。

その日、僕は疲弊していた。
仕事でトラブルや厄介な案件が続けざまに発生し、それらを何とかやり過ごす。昼を食べる時間もなかった。
残業をこなし、帰りがけにスーツを着たまま無理に体を捻ると、ボタンが弾け飛んだ。やっちゃったなぁと思いボタンを拾う。
会社を出て、早く帰ろうと歩いていると、片方の足の裏に違和感。ガム踏んでる。ちくしょう。
ため息まじりに電車に乗り、ようやく最寄り駅に着いた頃には天気予報になかった強い雨が降っていた。
お天気アプリよ、今朝確認した時には「くもり」だったじゃないか。

傘も歩く元気もない。バスに乗って帰ろうと、バス停に向かう。丁度乗りたいバスが来ていた。
残った元気で少しだけ走る。間に合った…と思いきや、バスは無慈悲にも目の前の僕を置いて走り出してしまった。

ああ、なんてツイていないのか。

もともと僕はあまり運がいいタイプではない。どちらかと言うと運が悪い方だというあまり良くない自覚がある。
そして、僕の不運はこんな風に小さなものが連続して起こる事が多い。

一連の流れで真顔を極めた僕は、タクシーに乗ることに決めた。
この際濡れずに早く帰れれば何でもいい。金も余計に払おうじゃないか。

タクシー乗り場には僕と同じことを考えた人で列ができていた。次々と現れるタクシーが、それをまるで遊園地のアトラクションのように回収していく。
風と雨で体が少し冷えたから帰ったらゆっくり風呂に入りたいなぁ、なんて考えているとあっという間に僕の順番になった。

タクシーに乗り込み、行き先を告げる。
ぼんやりと窓を見つめるとなんだかドラマのワンシーンみたいだと思った。

僕にとってタクシーは特別なときにしか乗らないものだった。少なくとも、「面倒だから」なんて理由で乗ったことはなかった。
…大人になったのかなぁ、とふと考える。
実際、金銭的なゆとりは学生の頃より増えた。
こんな風に、疲れたからという理由で簡単にタクシーに乗るようになったし、ラーメン屋でも、100円高いメニューを躊躇せずに頼むようになった。

でも、こころはどうだろうか。
いつまでも、子供のままな気がしている。
大人になる覚悟も準備もできないまま、気づいたら社会に出ていた。
このまま約50年。僕は生きていけるのか、少し心配になってしまった。

少しネガティブな気持ちになった頃、タクシーは家の近くに到着した。
ここで大丈夫ですと運転手のおじさんに声をかけると、おじさんは「家はこの辺?濡れちゃうから、もう少し近くまで着けますよ」とミラー越しに僕を見つめ言った。

お言葉に甘えて家の真正面まで乗せてもらった。
「風邪引かないようにね」
50年は無理かもしれないけど、少しだけ頑張るか、という気持ちになった。

雑念の話。

普段生活をしていると、何も考えていない時間ってなかなかないんだなぁと感じます。

道を歩いていても、家でゴロゴロしていても、常に何か考えている。

でも、考えていると言ってもその中身は大概がしょうもない「雑念」です。例えば…ああほら、もうすでに何考えてたか覚えてない。

 

元来集中力に欠ける人間なので一つのことだけを考え続けるのは得意ではありません。人の話も聞いているようで聞いていないのです。途中で話している相手の鼻毛が気になったり、癖を見つけ出そうとしたり。かと思えばふと自分のことについて考え出したりと、脳みそは忙しなく動いてしまいます。

 

そんなしょうもない雑念ですが、これって意外と馬鹿にできないんじゃないかと最近ふと思いました。…いや、今思いました。

雑念って自分の感情とリンクしていて、ネガティブな雑念に囲まれているとどんどん自分を苦しめるし、逆もまた然りなんじゃないかなぁと。だとしたら、なるべく楽しい雑念に囲まれていたい。生きるのならば楽しいほうがいい。

 

雑念だって思考なわけです。思考するには何かしらそれに関わる理由があるのではないでしょうか。だとしたら、日頃浮かんでくる雑念について文にしてみるのは、自分自身を整理することに繋がりそうです。

 

このブログはそんな雑念をまとめたものにしようと思い、始めました。

これ、本来はブログの1発目に書くべき内容ですよね。まぁ、いいでしょう。これくらいの緩さが雑念っぽいですし。

 

今日のお昼は何食べようかなぁ。

ダンジョンの話。

昔から、人に見透かされることがどうにも苦手です。

「あなたの手の内全てわかってますよ」というよな反応をされると途端にその人と壁を作り、心に鎧を着込んで避けてしまいます。

で、離れたところから「お前になにがわかるんじゃ!」なんてひとりごちるわけです。

そのくせ理解はしてもらいたいという、極めて面倒な性格をしています。

 

理解されたいけど、全部を理解されたくない。なんで?

 

たぶん、全部理解されてしまうと「自分の底の浅さ」が浮き彫りになってしまうように感じるからなんだろうと思います。

めちゃくちゃレベル上げして、装備を整えて挑んだダンジョンが、入ってみると一本道でボス不在。みたいな。あ、この例えがあってるのかは微妙です。

とにかく、プライドだけはRPGのラスボス並みに高い僕には、それが許せないわけですね。

 

冒頭の「お前になにがわかるんじゃ!」も言いかえれば「貴様になにがわかる!」 になるわけです。言いかわってないけど。

要は、相手に自分というダンジョンを攻略された気になるのが嫌だと。

 

じゃあどうするのか。ダンジョンを複雑にしてあげるしかない。一筋縄じゃ攻略できない深いダンジョンを作る必要がある。

 

そんなわけで、自分自身の考えをもう少し深いものにするべく、こんなしょうもない記事を書いたわけです。